早起きは三文の徳? 寝静まるキャンプ場でのドラマ。浩庵キャンプ場 ② 〜撮影編〜

zero21kei

2017年03月14日 12:30

こんにちは。Kです。


昨日の続きで、「浩庵キャンプ場」の2日目です。

「絶景キャンプ」を満喫する予定でしたが、「富士山ビュー」が見えたのは、午前中の僅かな時間だけ。

午後からは雲に隠れて富士山は見えず、さらに厚い雲が湧き、夜には雨が降る予報となり、初日は完璧な絶景キャンプにはなりませんでした。


しかし、日付が変わった次の日の深夜、まだ誰もが寝静まっているキャンプ場で、今回のお話が始まります。


今回の記事内にある「CANON 5D3」で撮影した写真は「1100ピクセル」でアップしていますので、気になる写真は拡大して見てみて下さい。



初日の記事
2017/03/13











早起きに備えてしばし休息。


土曜日の夜、一通り夕食を終えて、夫婦ふたりでまったりタイムを迎えます。



テントから外の様子を見てみると。。。





満月まで、1日前の「」は煌々と辺りを照らして星はほとんどみえません。


また、厚い雲が西から湧いてきています。

富士山も雲を被っていて、なかなか夜の「絶景」とはいきません。。。





風も吹いて、湖面は波が立ち、月は明るくて、夜の写真、この時間は良いのが撮れません。。。



スマホで気象情報を確かめます。

20時〜0時までにわか雨の予報です。。。。


うーん、降るのかな??



ただ、救いなのは、予報が3時頃から多少回復する見込みになっています。(天気予報なら、もともと2日間晴れだったんっだけど・・)


わずかな望みを託して、一寸早めに就寝です。


一応、スマホのアラームを3時と5時にセットします。












静寂の本栖湖。


スマホのバイブレーションで目が覚めます。



寝ぼけ眼を擦りながら、時計を見たら時刻は3時(まあ、アラームかけたから当たり前か)


テントの中からは何も見えませんが、じっと感覚を澄まして辺りの様子を伺います。


「雨の気配」はなく、先ほどまで吹いていた「風の音」も聞こえません。。。


まあ、静かだと言っても、雲が湧いていたら「撮影」は無理です。

でも、一応、外を確認してみます。




カンガルーにしている「ノースフェースのテント」からノソノソと這い出して、前を見ると、クリアーウォール越しに何かの「」が見えます。


お、っと思い、あわててトルテュから飛び出します。



サイドウォールを開け、真上を見上げると・・・。

多少の薄い雲があるものの、月も西に傾き、星がみえるようになっています。




さらに、本栖湖の方をみると。。。。。





なんと、薄い雲はありますが、月明かりに照らされた富士山がくっきり見えます。

しかも、風は無く、湖面が静まりかえり、月明かりに照らされた「逆さ富士」がそこにあります。



ちょっと「鳥肌」が立ちます。(寒いせいもありますが・・・)



ただ、小高いこのサイトの位置からだと「逆さ富士山」のてっぺんが湖畔に並んだボートで切れてしまいます。


このチャンス、逃す手は無いので、慌てて三脚を持って、湖畔へ移動しました。



と言っても、砂利の砂浜で、時間は深夜3時。



周りのサイトは皆、寝静まっていますから、なるべく足音をたてずに抜き足差し足です。。。


水辺まで降りても、全く波はなく、本栖湖は圧倒的な「静寂」の中にあります。





富士山の麓に漂う、薄い雲がちょっと邪魔ですが、完璧な「深夜の逆さ富士」です。


辺りを見回しても、この風景を見ている人は居ません(まあ、トイレとかで起きて見た人はいるかもしれませんが)


地球上で自分だけが独り占めしている風景だと思うと、ちょっと感動です。


これで月齢が合えば、「天の川と逆さ富士」という写真が撮れるはずですが、スケジュールの問題ですから、今回はこの風景で満足です。




と、興奮して、ジャージで飛び出して来ましたが、外の気温は「-4℃」


寒さで震えます(笑)



とりあえずテントに戻り、消えかかった「薪ストーブ」に薪を入れて、暖をとります。



熾火が少し残っていたので、5分ほどで火が熾り、冷え切った手足を温めます。



凍てつく空の下、「」の暖かさは格別です。

この「マッチポンプ」、一度体験したら止められないですね(笑)




暖まりながら、せっかくの絶景なので、爆睡している奥さんを軽く起こしてみます。


「うん、それは良かったねぇ。。。。。。むにゃむにゃ。。。。。。。」


という感じなので、とりあえず撮影を続けます(笑)




ダウンを着込み、手袋を履いて、準備を整えます。





まだ時刻は3時半。

一人っきりですが最高のナチュログ写真部の部活動となりました。





いやー、絶景です。


この富士山を見に、ここまで来たと言っても過言じゃないですよね。





と、暫くすると富士山の北側(画面左側)が突然明るくなりました。

この時は、よく解りませんでしたが、後で調べたら、なんかスキー場があるみたいですね。


何枚か写真を撮り、寒くなったらカメラを置いて、テントに戻って暖をとります。



そうこうしてると、あっと言う間に時間が過ぎて行きます。





ただ、ただ、最高の景色です。


月が西の空に傾いたので、天頂方向は星が輝き出します。



富士山の右上に「射手座」が見え、左上には「わし座」の「アルタイル」があります。


もし「新月」だったら、この画面の左上から右下にかけて「天の川」が写るはずですが。。。。


まあ、今日は無理ですよね(笑)


月は沈んでも、今度は稜線が明るくなってきました。





そろそろ夜明けです。












夜明けの富士山


さすがにこの「風景」を見逃す手はないので、奥さんを今度は優しく「叩き」起こします。


半分寝ぼけている奥さんに、カメラで撮った「写真」を見せると、一気に目が覚めて、思わず声を上げそうになります(笑)


うん、声はぐっと我慢です(まだまだ夜ですから)





さすがにこの景色を見たら奥さんもスイッチが入ります。

幕の中からですが、ミラーレスカメラで、クリアウォールごしの風景を撮影します。


まあ、明らかに失敗ですね。。。。


慌てないで、外で撮りましょう(笑)


と言うことで、奥さんも防寒を施して、今度は2人で湖畔へ降りていきます。





朝陽のグラデーションと上下のシンメトリーの構図。

自然の織りなす景色はなんと美しいのでしょう。


ただ、この時間からちょっと「風」が吹き始めて、少し湖面が波打ち始めています。





カメラをセットして、今度は「朝陽」の出現を待ちます。





こんな感じで待機ですね(笑)





恒例になりつつある、奥さんと絶景の写真も「ついでに」撮ります。

タイトルは「富士山と私」ですかね?





素晴らしい景色です。






この日の、本栖湖からの朝陽の位置は、富士山の稜線と、左側の山の間くらいみたいです。


できれば稜線からの朝陽が良いですが、どうなるのでしょう?





辺りは、次第に薄い「ピンク色」から「黄色」へ色が変わっていきます。

この頃になると、キャンプをしている人たちも続々と朝陽をみに、湖畔へ集まってきます。


辺りがドンドン明るくなっていきます。



そして夜が明けます。。。。




お、日の出です。





ちょうど、稜線と山の端の交点から、太陽が顔を出しました。





湖面に映る「逆さ富士」と「太陽」


本当に息を呑むほどの美しさです。




完全に日が昇り、一気に辺りは明るくなります。





この風景のためだけにキャンプをするのはありですね。





霜がおりたプジョーにも日が差します。




テントに戻って振り返ると、すばらしい本栖湖の風景が広がっています。



いやー、感動のキャンプです。













撤収と立ちより


浩庵キャンプ場のチェックアウトは10時、お金を払えばレイトも出来るようですが、早起き出来たので、このまま10時にチェックアウトする事にしました。


管理棟へ行くと、その近くに大きな観光バスが止まっていて、観光客がゾロゾロといました。

1000円の景色を皆さん見に来ているようです。


でも、大きな声じゃ言えませんが「本当の絶景」はお金じゃ買えないんですけどね。




近くに「いずみの湯」という「温泉」があるという情報を、某温泉ブロガーさんから聞いたので、スマホで探すと、「西湖」の所らしいので行ってみます。





すぐ到着。

銭湯と温泉の違いも解らない素人ですが、ゆったり浸かって、良いお湯でした。



そのまま、河口湖の方へ走ります。

時刻は12時過ぎ、お腹も減ったので、「ほうとう」を食べることに。




行ったのは、攻め気味の「建物」が目立つ「ほうとう不動」です。

ほうとう、儲かっている感が凄いですね。





入り口の所の「暖簾」最初は「入り口」って書いてあるのかと思いましたが、どうやらマーク(家紋?)みたいです。




メニューはトッピングのバリエーションなど一切ない「ほうとう」のみという潔いお店でした。


かなり忙しそうで、ホールの店員さんはちょっとキリキリしてましたが、とても美味しい「ほうとう」でした。



写真を撮り忘れましたが、箸袋の「ほうとうの歴史」が書いてありました。

唐の時代云々から始まり、清少納言の「枕草子」にも載っていた平安貴族の愛好品のひとつが「ほうとう」であり、その後、時代が突然下り、武田信玄が戦争飯としてつくったのが今の「ほうとう」の原形だそうです。

で、現在に至とのこと。



まあ、「小麦粉の麺」の歴史は日本でも古いですが、さすがに「枕草子」と「ほうとう」を結びつけるのは。。。。。。。


でも、美味しいので良いと思います!(笑)



おしまい。。。





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