写真 「レジェンド・オブ・デジカメ ④ ~Dの衝撃~」全7回

zero21kei

2016年09月12日 13:46

こんにちは。Kです。



デジカメの歴史シリーズの4回目です。


90年代中頃、一眼レフデジカメは200万円する信じられないほどの超高級品でした。

これでは一眼レフデジタルカメラは一般を含めて普及する状況ではありません。


199X年、そこに登場したあるカメラを契機に「ハイエンドデジタルカメラ」はカメラ業界を席巻していきます。


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2016/08/22


2016/08/29


2016/09/05











第4話 レジェンド・オブ・デジカメ ④ ~Dの衝撃~


1999年9月、アンゴルモアの大王が降臨して2ヶ月が経つ頃、ニコンは意欲的な一眼レフデジタルカメラを発売します。


「Nikon D1」です。

※wikipediaより

「Nikon D1」はニコンのフラッグシップのフィルムカメラモデル「Nikon F5」のボディをベースに開発された有効画素数260万画素のデジタルカメラです。

ただ、当時のデジタルカメラの技術革新を考えると、このカメラはボディの性能は申し分無いのですが、「デジタル部分」の性能は当時のハイエンド機種に比べ平凡的なものでした。



しかし、この「D1」がカメラ業界に衝撃を与えたのは「技術」ではなく、その価格でした。



発売価格、「65万円」



当時、同時期に発売されていたキヤノン製品は「EOS D6000」が360万円、「EOS D2000」が200万円です。

これに比べると「D1」の65万円という価格は半額以下ですから驚異的なのが解ります。(360万円の方が異常とも言えますが・・・)



「65万円」というのはフリーのフォトグラファーでも背伸びして手が届く価格です。

「ちょっと高いけど仕事の投資なら・・・」

と思うフォトグラファーがこの「Nikon D1」を契機として続出するようになります。




「Nikon D1」は発売と同時に「報道系」のフォトグラファーを中心に急速に普及したと思います。


元々報道はスピードが命です。
新聞紙面に載せる「モノクロ」の写真用であればフィルムよりデジタルの方が圧倒的にスピードがあり、画質に多少問題があってもデジタル化するメリットは十分にありました。



「Nikon D1」がカメラ業界に認知されると、「デジタルカメラ」の商業利用は急速に加速します。

よく考えれば「雑誌・チラシ」など「画質」にそれほど拘らなければ、クライアントにとって「デジタル化」はメリットしかありません。


「フィルムじゃなければ仕事にならない」というのはフォトグラファーの勝手な幻想だったのです。



「Nikon D1」に限らず、この時期のハイエンドデジタルカメラは画質や技術面ではまだまだでしたが、バブル崩壊後の不況に苦しむクライアント達は、コストダウンを目的として「デジタルカメラで仕事が出来ないか?」と言うようになります。


ここに来て、デジタルカメラに見向きもし無かったフォトグラファーたちも「デジタルを始めなければ生き残れ無いかも知れない」と気づくようになるのです。



そしてその「危機感」と「技術発展」はほんの数年で「フィルム」を過去の物にしてしまいます。


おそらく、「Nikon D1」デビューの5年後、2004年にCANONが「EOS 1D markⅡ」を発売する頃、商業写真はデジタルカメラ一色となっていました。


つまり、あれほど時代を謳歌していた「リーバサルフイルム」は僅か数年で「仕事の現場」から無くなってしまいました。



「フィルム」は衰退というような生やさしい状況ではなく、まさに「消滅」してしまったのです。






さて、「Nikon D1」によってこの業界のデジタル化の流れの契機を作った「ニコン」ですが、本来なら先行企業として、圧倒的なシェアを獲得するはずでしたが、現実はそうはなりませんでした。

ニコンの誤算はおそらくセンサー開発の失敗(?)だと思うのですが、とにかく一時期「一眼レフデジカメ」の話題の中心から外れてしまいます。

そのニコンの隙をつくように、「CMOSセンサー」という異色のセンサーに自社の開発をかけた企業が2000年頃から、圧倒的な存在感をもって台頭していきます。


そう、「キヤノン」の逆襲が始まるのです。







つづく



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