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琥珀色の麦酒の輝き④ ~歴史探索、ビールの日本史~

こんにちは。Kです。


ビールの話をするために、延々と4回に分けて、記事にしている「ビールの歴史」です。

と言いつつ「ビールの歴史の話は必要か?」と言われれば、「必要無い」としか言いようがないのが実情です(笑)


ただ、お酒の1杯にも、蘊蓄を肴にチビチビ楽しむのが、「正しいおっさん」の在り方であると頑なに信じているのです。


いつかどこかの居酒屋で、隣の席から

「エールビールって何だろう?」

と言う会話が聞こえてきた時。

「お、そこの若けぇの。何も知らないんだな。いいか、そのエールってのは、歴史があってな・・・・。」

と、話しかけるきっかけとなるのです。(あれ、うざいですか?)

そう言った、機会(チャンス)を逃さない為、日々の勉強が大切です。



ということで、歴史の話の締めくくりとして「日本のビール」の歴史を追ってみたいと思います。
琥珀色の麦酒の輝き④ ~歴史探索、ビールの日本史~




文明開化と醸造所の誕生。


江戸時代末期、欧米の船が日本に入ってくるようになると、その船から始めてビールが日本に入ってきました。

そして、正式に国内で醸造されたのは、1870年(明治3年)、アメリカ人のウィリアム・コープランドが横浜の居留地で「スプリング・バレー・ブルワリー」創設したのが最初と言われています。

その後、北海道開拓使によって「札幌麦酒会社(サッポロビールの前身)」、東京では「日本麦酒醸造会社(恵比寿ビールの前身)」、大阪では「大阪麦酒会社(アサヒビールの前身)」などが続々と設立され、一時期は100社以上の醸造所があったようです。

また、1888年(明治21年)には横浜のコープランドのビールも経営者が変わり、新しいブランドとして「麒麟ビール」を発売します。




国策による寡占化。


文明開化とともに花開いた日本のビールでしたが、その後日本の「富国強兵政策」により、1901年(明治34)に新しい酒税法が公布され、ビールには超高額の「酒税」がかけれられます。

そのため、せっかく花開いたビール醸造は、資本力の弱い醸造所の統廃合が始まります。

そして、1906年に「札幌麦酒」「日本麦酒」「大阪麦酒」の大手3社が合併して「大日本麦酒株式会社」が誕生します。

この会社のビールの全国シェアは70%以上でした。


この頃になると業界第2位の「麒麟麦酒」でもシェアは20%となり、「ビール」はほんの数社が製造する「独占市場」となり、政府の主要な財源として機能します。


その後、日本は戦争を続けていき、ついに1941年「太平洋戦争」に突入して行きます。

その課程でビールにも国の「強烈な統制」が行われて行きます。


その状態が終わるのは、1945年8月に迎えて敗戦の時でした。




戦後復興と大手による寡占時代。


戦後の経済復興が始まる中、「GHQ」の指示により「財閥解体」がすすめられます。

そして、そのGHQの指導のもと、財閥解体を目指す法案「過度経済力集中排除法」が公布されます。


これにより、巨大企業であった「大日本麦酒」も1949年にこの法律の適用を受け、「朝日麦酒」と「日本麦酒」に分割させられます。


朝日麦酒は「アサヒビール」のブランドを継承して「アサヒビール」となり、日本麦酒は「サッポロビール」と「ヱビスビール」のブランドを継承して、「サッポロビール」となります。

これにより、戦前からあった「キリンビール」と合わせて、大手3社で戦後のビールの復興が始まります。




経済成長と新規参入


1957年、沖縄で「沖縄ビール株式会社」が設立され、その後「オリオンビール」の販売が開始されます。

それと同時に「沖縄ビール」も社名変更して「オリオンビール株式会社」となります。


また、1963年に「寿屋」が「サントリービール」のブランドでビール業界に参入。

社名も「サントリー」となり、この時に現在の大手5社が出そろいました。



しかし、ビールの製造に関しては戦前から一貫して「規制」があり、常に新規参入を拒んできました。


その最大の規制とは、ビールの製造販売に「年間2,000キロリットル以上が必要」という条件でした。

こ「2,000キロリットル」というのは、350ml缶で「570万本」です。

この量を初年度から「製造販売」しなければならないわけですから「ちょっとビールに参入してみよう」というレベルでは無かったのです。



規制緩和と地ビールブーム。


その流れが変わるのが、1994年、自民党から政権をとった、細川内閣のもとで行われた「規制緩和」でした。

その一環として、ビールの規制条件が緩和され、年間60キロリットル(それでも350ml缶で17万本ですが・・・・)となり、中規模の資本があればビール市場に参入できるようになりました。


これにより1995年から「地ビールブーム」が始まります。


しかし、にわかに始まった「地ビール」は全く「ビール醸造」の経験の無い他業種からの参入や、「町おこし」の名目で「第三セクター」を利用した官営醸造所などが乱立する事態を招きます。

まさに「玉石混淆」という状態で、物珍しさで「ブーム」になりましたが、あまりにも「酷い品質」のビールが大量に出回った結果、「地ビールは高くて不味い」という印象を一般の人々に与えてしまいました。



地ビールは比較的製造が簡単な「エールビール」を作る事が多く、大手のラガービールと全く味が違うことも原因の一つだとは思います。

ただ、やはり最大の原因は「ビール醸造」を素人のにわか仕込みで作った結果だったと思います(当時の関係者の人が見ていたらごめんなさい)


こうして「地ビールブーム」はあっという間に去り、「地ビール」には「高くて不味い」という大きな「マイナスイメージ」が付いてしまいました。

そこに追い打ちをかけるように「バブル経済」が崩壊し、日本経済は長い低迷期を迎えます。

こう言ったことが、「美味しいビールを造ろう」とする各地に出来た「小さなブリュワリー」に突きつけられた現実でした。


しかし、そういった逆境の中、志を持つブリュワリーたちは、世の中の逆風に堪え忍びながら生き残っていきます。




経済に負けた悲しいビールたち。


また、同じ時期、大手ビール会社も別の理由で「規制緩和」の流れに苦しんでいました。

それは、安い輸入ビールの存在です。


ビールには戦前から続く高い「酒税」があります。

そのため、小売価格の「半分が税金」というのがビールで、メーカーは「コストダウン」の努力も、他業種に比べれば効果も半分と言う状態でした。


そこで、大手ビールメーカーは諸外国からみても「不当に高いビールの酒税」に対して真っ向から意を唱えるのではなく、「発泡酒」から始まる「酒税」の抜け目に着目した「じゃないビール」を作り、その開発に凌ぎを削り始めます。


ビールは「ビール純粋令」があるように、材料は「麦芽、ホップ、水」です。

その定義を流用する形で、日本の「ビールの酒税」は決まっていますので、使う分量や原料そのものを変えれば、当然ビールでは無くなります。

日本の場合、アルコール度数などが同じでも「ビール」だけがとびきり税金が高いので「ビールもどき」なら当然税金が安くなります。

第3のビールが安いのは、「税金が安い」という以外の意味はないのです。



ここ数回見てきたように「ビール」には長い歴史と伝統があります。

もの作りに携わる「プロ」とは、そういった「伝統」に敬意を示しつつ、新しい事に挑戦する人の事を指します。

勘違いしてはいけないのは「新しい事に挑戦する」というのは、「精巧なニセ物を造る事ではない」と言うことです。


「ビール」をより美味しくするために、今までに無い「副原料」を入れる事はあっても、材料をごまかして税制上「ビールではない」とする事に心血を注ぐのは、やはり方向が間違っているとしか言えないと思います。


ましてや、メーカー側にそういった仕事に対する「恥」や「後ろめたさ」があるなら、まだ救いがあると思いますが、それを「企業努力」と言い切られてしまっては「絶句せざる得ない」としか言いようがありません。


「発泡酒」も「第3のビール」も法律上も税制上も、ルールに則った商品ですから、その観点からみれば何の問題もありません。


何度も言いますが、間違っているのは「税制」なのです。



また、消費者も「安いビール」の価格的な魅力には勝てず、ビールメーカーの主力は徐々に発泡酒や第3のビールに移っていきました。

(私もかっこつけて書いてますが、お財布事情により普段はそこそこ発泡酒を飲んでます・・・)




ビール新時代、その希望の光。


政治と企業の利益に翻弄され「じゃないビール」がはびこる中、先ほど言った小さなブリュワリーは黙々と「美味しいビール作り」に磨きをかけていました。


そして最近になり「地ビール」は「クラフトビール」という新しい名前を得て、若い世代(地ビールブームを知らない世代)を中心に、新たに脚光を浴びるようになりました。


値段的に高いけど、美味しいビールがある

というのが、やっと認知されるようになったのです。


今では、こういった小さいなブリュワリーから発売される個性的で豊かな味わいがあるビールを、スーパーやコンビニでも見かけるようになりました。

このように「スタイル」の違うビールを色々楽しめるようになったのは、本当に良い事だと思います。


また、大手メーカーでも、こういった需要を再確認して、まだまだ手探りではありますが「美味しいビール作り」に目を向けた商品開発が始まりつつあります。(税制の見直しだけが理由では無いと信じたいです)



そのなかでは「サントリー」が一つ抜き出た存在だと思います。


「プレミアムモルツ」の成功が良い体験となったのか、「エールビール」など、大手ではなかなか難しいタイプのビールを多く手がけるようになってます。

「プレミアム・モルツ、香るエール」や「クラフトセレクトシリーズ」など、まだまだ一般ウケしているかは解りませんが、エールビールを上手くコントロールして、「ピルスナー」に慣れた日本でも美味しく飲めるように工夫されています。


本当は、こういう努力こそ「企業努力」と呼びたいですね。


次回からは、ビールの色々な「スタイル」のお話をしていきたいと思います。


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コメント
こんばんわ。
naopion夫です。

若い頃、先輩と通った八丁堀の小洒落た居酒屋で当時は珍しくペールエールとバイツェンとスタウトから選ぶんですが、しっかりと味がしていて、悪酔いするけど美味しかったなぁ。今度まだやってれば行ってみようかな、、、


日本の麦酒メーカーの成り立ち勉強になりました。職業柄、自分のお客さんの会社(製造業)の成り立ちは調べるんですが、似てますね。

naopionnaopion
2017年02月20日 22:36
夫さん。おはようございます。
ペールエール、バイツェン、スタウト。どれも大好物のスタイルです(笑)
八丁堀は行ったことがないですが、最近はいろんなところにクラフトビールのお店が増えてます。
そういうお店でビールを楽しむのが大好きです。

zero21keizero21kei
2017年02月21日 08:52
こんばんは~

人に歴史あり、じゃないですけど
『ビールに歴史あり』ですねw

ただ高い安い、旨い不味いではなくプラスうんちくがあるとビールの見え方も変わってきますね~

美味しいって感じるのは味覚だけではなく見た目、匂い+うんちく全ての結果だと思っているので、こういうの好きです(笑)

次に飲むビールが美味しく飲めそうです(笑)

taku-ctaku-c
2017年02月21日 09:41
taku-cさん。おはようございます。
やっと「歴史」が終わりました。
じつはこのシリーズ、これから本番で、各地のクラフトビールや世界のビールの蘊蓄を垂れ流して行こうと思ってます(笑)

特にクラフトビールは今思いつくだけでも、「田沢湖ビール」、世嬉の一酒造「いわて倉ビール」、
シャトーカミヤ「牛久シャトービール」、木内酒造「常陸野ネスト」、ヤッホーブルーイング「よなよなエール」などなど色々ありますよ。
それぞれのブリュワリーで得意のビールが違いますので、順次公開ですね(笑)

zero21keizero21kei
2017年02月21日 10:13

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