写真 「レジェンド・オブ・デジカメ ② ~画素数戦争と蜂の巣~」全7回
Aug 29 , 2016
こんにちは。Kです。
さあ、待っている人など皆無に近く、それ以外の人には全く興味のない「デジカメの話」の第2話です。
盛り上がって来ましたね!!
因みに第1回はこちら
「レジェンド・オブ・デジカメ ① ~神話から現代へ~」
前回はコンデジが世に現れた時の話でしたが、今回は、あれよあれよとデジカメがフイルムカメラを駆逐していった当時のお話です。
時はまさに世紀末。
淀んだ街角でぼくらは出会っていたあの時、コンデジ業界では凄惨な事件が勃発しているのだった。。。(北斗の拳調)
20世紀最後の年、2000年になると、各メーカーのコンデジの画素数は300万画素を超えてきます。
とにかく、この時期のデジカメは「性能=高画素数」と言う状態です。
「高画素であらずんばカメラにあらず」と言う、平家の公達も真っ青になるほどの「画素数至上主義」の時代です。
当時のデジタルカメラ売り場は画素数ごとに機種を分けて展示するのが当たり前で、「○○○万画素デビュー」となるとそれだけで黒山の人だかりです。
半年前の画素数の落ちるカメラなど、ワゴンで捨て値で叩き売られても、だれも見向きもしません。
今から考えると異常な時代がこの時期でした。
そもそも300万画素というと3年前の10倍の画素数です。
メーカーとしても開発した新センサーの製品寿命は半年に満た無い状態ですから、ほんとうに採算が取れていたのでしょうか?
どちらにしろこの「画素数戦争」はメーカー間の一大消耗戦の様相となっていました。
そして、このメーカー間の熾烈な争いはさらに進み「訴訟」にまで発展していきます。
この法廷闘争は当時「コンデジ」のトップシェア争いをしていた2社によって引き起こされます。
「富士写真フイルム(現、富士フィルム)」と「オリンパス工業」です。
事の発端は富士フイルムの新機種「ファインピックス4700z」でした。

この機種には富士フイルム独自の「スーパーCCDハニカム」という技術が使われています。
この技術は、ハニカム(蜂の巣状)構造によってセンサーの画像素子の約2倍の解像度のデータを作る技術でした。
つまり、富士フイルムは「240万画素」の基本センサーをつかって400万画素分を越えのデータ容量を作り出し、これを「432万画素」の機種として売り出す事にしたのです。
この、水増しともとれる「400万画素」表示に対して、当時コンデジ業界で激しいシェア争いをしていた「オリンパス」が噛みつきます。
「不当表示」としてドイツで訴訟を起こし、かつ「勝訴」するのです。
これによって富士フイルムはドイツでの発売に躓き、「ファインピックス4700z」はドイツの展示会において、全ての広告を撤去しなければならなくなるという異常事態に発展します。
こういうのは「訴える方」も「訴えられる方」もどうかと思います。
そもそも「カメラ」の「画素数」とは「画像の大きさ」の事です。
「大きい写真が良い」というのは間違いとは言いませんが、本来、写真に求められるのは「画質」です。
大きさより、綺麗である事の方が写真では重要な要素です。
しかし、この頃のデジタルカメラは画素数のためにその「画質」が犠牲になるような機種が続出しており、当時、見ていても首をかしげる状態でした。
しかし、この2000年の「ファインピックス訴訟」が契機になったのかは不明ですが、この後、画素数表示の新たなガイドラインが生まれると共に、「画素数至上主義」がピークアウトします。
そして、この頃から本来カメラに求められるはずの「画質」や「操作性」などの要素が見直されるようになり、デジタルカメラは新たなステージへと進むことになるのでした。
つづく
続きはこちら。
さあ、待っている人など皆無に近く、それ以外の人には全く興味のない「デジカメの話」の第2話です。
盛り上がって来ましたね!!
因みに第1回はこちら
「レジェンド・オブ・デジカメ ① ~神話から現代へ~」
前回はコンデジが世に現れた時の話でしたが、今回は、あれよあれよとデジカメがフイルムカメラを駆逐していった当時のお話です。
時はまさに世紀末。
淀んだ街角でぼくらは出会っていたあの時、コンデジ業界では凄惨な事件が勃発しているのだった。。。(北斗の拳調)
第2回「レジェンド・オブ・デジカメ ② ~画素数戦争と蜂の巣~」
20世紀最後の年、2000年になると、各メーカーのコンデジの画素数は300万画素を超えてきます。
とにかく、この時期のデジカメは「性能=高画素数」と言う状態です。
「高画素であらずんばカメラにあらず」と言う、平家の公達も真っ青になるほどの「画素数至上主義」の時代です。
当時のデジタルカメラ売り場は画素数ごとに機種を分けて展示するのが当たり前で、「○○○万画素デビュー」となるとそれだけで黒山の人だかりです。
半年前の画素数の落ちるカメラなど、ワゴンで捨て値で叩き売られても、だれも見向きもしません。
今から考えると異常な時代がこの時期でした。
そもそも300万画素というと3年前の10倍の画素数です。
メーカーとしても開発した新センサーの製品寿命は半年に満た無い状態ですから、ほんとうに採算が取れていたのでしょうか?
どちらにしろこの「画素数戦争」はメーカー間の一大消耗戦の様相となっていました。
そして、このメーカー間の熾烈な争いはさらに進み「訴訟」にまで発展していきます。
この法廷闘争は当時「コンデジ」のトップシェア争いをしていた2社によって引き起こされます。
「富士写真フイルム(現、富士フィルム)」と「オリンパス工業」です。
事の発端は富士フイルムの新機種「ファインピックス4700z」でした。

この機種には富士フイルム独自の「スーパーCCDハニカム」という技術が使われています。
この技術は、ハニカム(蜂の巣状)構造によってセンサーの画像素子の約2倍の解像度のデータを作る技術でした。
つまり、富士フイルムは「240万画素」の基本センサーをつかって400万画素分を越えのデータ容量を作り出し、これを「432万画素」の機種として売り出す事にしたのです。
この、水増しともとれる「400万画素」表示に対して、当時コンデジ業界で激しいシェア争いをしていた「オリンパス」が噛みつきます。
「不当表示」としてドイツで訴訟を起こし、かつ「勝訴」するのです。
これによって富士フイルムはドイツでの発売に躓き、「ファインピックス4700z」はドイツの展示会において、全ての広告を撤去しなければならなくなるという異常事態に発展します。
こういうのは「訴える方」も「訴えられる方」もどうかと思います。
そもそも「カメラ」の「画素数」とは「画像の大きさ」の事です。
「大きい写真が良い」というのは間違いとは言いませんが、本来、写真に求められるのは「画質」です。
大きさより、綺麗である事の方が写真では重要な要素です。
しかし、この頃のデジタルカメラは画素数のためにその「画質」が犠牲になるような機種が続出しており、当時、見ていても首をかしげる状態でした。
しかし、この2000年の「ファインピックス訴訟」が契機になったのかは不明ですが、この後、画素数表示の新たなガイドラインが生まれると共に、「画素数至上主義」がピークアウトします。
そして、この頃から本来カメラに求められるはずの「画質」や「操作性」などの要素が見直されるようになり、デジタルカメラは新たなステージへと進むことになるのでした。
つづく
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2016/09/05