写真 「レジェンド・オブ・デジカメ ③ ~もう一つの市場~」全7回
Sep 5 , 2016
こんにちは。Kです。
デジカメの歴史シリーズの3回目です。
1回目、2回目はデジタルカメラの誕生から「コンデジ」の話でした。
今回からはそれと同じ、90年代中頃から2000年始めまで、プロのカメラがどうなっていたのかというお話です。
当時は、デジタルカメラはまだ今のように当たり前ではなく、知っている人がいるかわかりませんが「フィルム」という素材を使って写真を撮っていた時代です。
そんな「フィルムしか無い」世界にどうやって「デジタルカメラ」が市場に現れていったのかをたどってみたいと思います。
前回の記事
コンシューマーデジタルカメラ市場が1995年から2000年にかけて激しい技術発展と市場拡大を繰り広げていたころ、もう一つの市場、いわゆる「業務用」という、職業写真家たちの世界(商業写真)にもいろいろな影響を与え始めていました。
職業写真家たちをターゲットにしたカメラ、いわゆる「ハイエンド機」の先駆けは、1995年7月にキヤノンが「EOS-1N」ボディをベースにEFマウントのレンズが使える「130万画素」の一眼レフデジタルカメラとして「EOS DCS3」です。

「CANON EOS DCS3」CANONのHPより
画像素子はアメリカの「Kodak」のCCDセンターを使い、本体下の巨大なグリップ部分に電池などを納めています。
大きなグリップの部分に「Kodak」と書かれているのはそのためです。
価格は198万円です。
凄い値段ですね。
でも安心してください。消費税はまだ3%です。
ちなみにこれは本体価格なので、写真を撮るには別途レンズも必要です。
さらに驚くのはメディア。
メモリー系のカードなど無かった時代なので、HDDをカード型にした記録メディアが必要でした。
当時のHDDカードは最大容量170MB(GBじゃないですよ、1/1000のGBです)価格はおそらく数万円したと思います。
外で使う場合はそれを何枚も買う必要があります。
まともに使うにはおそらく全部で300万円以上必要でした・・・・。
しかも、このカメラはフィルムに比べてたら「画質」「性能」ともに非常に悪く、「一眼レフデジカメ」という以外の意味はあまり無いカメラでした。
当時のプロカメラ機材のセールスマンの宣伝文句は
「商業写真では年間200万円くらいの感材費を使います。しかしデジタルカメラならこれが0円です。ですので、このデジカメを使うと2年後から毎年200万円利益があがりますよ!」
という感じでした。
しかし、この時期のデジタルカメラは1年後には骨董品として博物館に寄贈するしか使い道がなく、また、そもそも「仕事」に使えないのですから、バブルの余韻が残っている一部の「大御所」や「物好き」以外には気にも留めないカメラだったのです。
95年~99年にかけて業務用デジタルカメラは「1画素1円」の時代と言われます。
300万画素のデジタルカメラは「300万円」というのが相場です。
まさに「どこの高級車ですか?」という値段ですから普及するはずがありません。
まっとうなフォトグラファーでは資金的にデジタルカメラを入手する事は困難だったのです。
また、「商業写真」でプロが撮る写真の多くは「印刷」されるために撮られてます。
当然デジタルカメラのデータも「印刷会社」に渡ります。
しかし、画質の面でもフィルムに大きく劣っており、技術的なノウハウが確立していないデジタルデータは当時の「印刷会社」にとって「飯の種」にならないやっかいな存在でした。
ですので、印刷の現場から敬遠され、初期の画質の悪さからフォトグラファーからも疎まれる「ハイエンドデジタルカメラ」はコンシューマー市場を尻目に不遇の時代が続きます。
20世紀末のこの時期、商業写真業界は「デジカメ」で仕事をするなど考えらず、世の中のデジカメブームを尻目にフィルムの「黄金時代」を謳歌していたのです。
しかし、技術発展の足音は確実に歩調を強めてきます。
そして、1999年、あるメーカーの意欲的なカメラの登場により「商業写真」の世界は新たな局面を迎えます。
そのカメラを発表したのはカメラ業界の雄「ニコン」でした。
つづく
デジカメの歴史シリーズの3回目です。
1回目、2回目はデジタルカメラの誕生から「コンデジ」の話でした。
今回からはそれと同じ、90年代中頃から2000年始めまで、プロのカメラがどうなっていたのかというお話です。
当時は、デジタルカメラはまだ今のように当たり前ではなく、知っている人がいるかわかりませんが「フィルム」という素材を使って写真を撮っていた時代です。
そんな「フィルムしか無い」世界にどうやって「デジタルカメラ」が市場に現れていったのかをたどってみたいと思います。
前回の記事
2016/08/22
2016/08/29
第3回 レジェンド・オブ・デジカメ ③ ~もう一つの市場~
コンシューマーデジタルカメラ市場が1995年から2000年にかけて激しい技術発展と市場拡大を繰り広げていたころ、もう一つの市場、いわゆる「業務用」という、職業写真家たちの世界(商業写真)にもいろいろな影響を与え始めていました。
職業写真家たちをターゲットにしたカメラ、いわゆる「ハイエンド機」の先駆けは、1995年7月にキヤノンが「EOS-1N」ボディをベースにEFマウントのレンズが使える「130万画素」の一眼レフデジタルカメラとして「EOS DCS3」です。

「CANON EOS DCS3」CANONのHPより
画像素子はアメリカの「Kodak」のCCDセンターを使い、本体下の巨大なグリップ部分に電池などを納めています。
大きなグリップの部分に「Kodak」と書かれているのはそのためです。
価格は198万円です。
凄い値段ですね。
でも安心してください。消費税はまだ3%です。
ちなみにこれは本体価格なので、写真を撮るには別途レンズも必要です。
さらに驚くのはメディア。
メモリー系のカードなど無かった時代なので、HDDをカード型にした記録メディアが必要でした。
当時のHDDカードは最大容量170MB(GBじゃないですよ、1/1000のGBです)価格はおそらく数万円したと思います。
外で使う場合はそれを何枚も買う必要があります。
まともに使うにはおそらく全部で300万円以上必要でした・・・・。
しかも、このカメラはフィルムに比べてたら「画質」「性能」ともに非常に悪く、「一眼レフデジカメ」という以外の意味はあまり無いカメラでした。
当時のプロカメラ機材のセールスマンの宣伝文句は
「商業写真では年間200万円くらいの感材費を使います。しかしデジタルカメラならこれが0円です。ですので、このデジカメを使うと2年後から毎年200万円利益があがりますよ!」
という感じでした。
しかし、この時期のデジタルカメラは1年後には骨董品として博物館に寄贈するしか使い道がなく、また、そもそも「仕事」に使えないのですから、バブルの余韻が残っている一部の「大御所」や「物好き」以外には気にも留めないカメラだったのです。
95年~99年にかけて業務用デジタルカメラは「1画素1円」の時代と言われます。
300万画素のデジタルカメラは「300万円」というのが相場です。
まさに「どこの高級車ですか?」という値段ですから普及するはずがありません。
まっとうなフォトグラファーでは資金的にデジタルカメラを入手する事は困難だったのです。
また、「商業写真」でプロが撮る写真の多くは「印刷」されるために撮られてます。
当然デジタルカメラのデータも「印刷会社」に渡ります。
しかし、画質の面でもフィルムに大きく劣っており、技術的なノウハウが確立していないデジタルデータは当時の「印刷会社」にとって「飯の種」にならないやっかいな存在でした。
ですので、印刷の現場から敬遠され、初期の画質の悪さからフォトグラファーからも疎まれる「ハイエンドデジタルカメラ」はコンシューマー市場を尻目に不遇の時代が続きます。
20世紀末のこの時期、商業写真業界は「デジカメ」で仕事をするなど考えらず、世の中のデジカメブームを尻目にフィルムの「黄金時代」を謳歌していたのです。
しかし、技術発展の足音は確実に歩調を強めてきます。
そして、1999年、あるメーカーの意欲的なカメラの登場により「商業写真」の世界は新たな局面を迎えます。
そのカメラを発表したのはカメラ業界の雄「ニコン」でした。
つづく
2016/09/12