写真 「レジェンド・オブ・デジカメ ⑥ ~ニコンの戦い~」全7回
Sep 26 , 2016
こんにちは。Kです。
取材の仕事で、福岡への日帰り出張から帰ってたばかりで、へろへろです。
さぁ、皆さんお待ちかね「デジカメの歴史」の6回目です(笑)
前回は「CMOS」という独自のセンサーによって時代を築いたキヤノンのお話でした。
今回はその同じ時にも一つのカメラ業界の雄「ニコン」が、どういった事をしていたのかというお話です。
前回のサブタイトルが「帝国の逆襲」だったので、今回は「ニコンの帰還」にしたいのですが・・・・・・・。
前回の記事
キヤノンが独自開発の「CMOSセンサー」によってプロのフォトグラファーたちから圧倒的な支持を得ていたとき、ライバルの「ニコン」はどうしていたのでしょうか?
ニコンはまず、フラッグシップモデルの「Nikon D1」を進化させます。2001年にはセンサーサイズが倍の530万画素になる「Nikon D1X」を投入。
また、その数ヶ月後には連写性能を引き上げた改良モデル「D1H」を投入します。さらに、ミドルレンジモデルとして「Nikon D100」を投入し、キヤノンの「EOS D60」に対抗していきます。
おそらくこの間、ニコンは次期センサーの開発を行っていたはずで、その成果 が2003年に現れます。
ニコンは2003年11月。開発に10年かけたというふれ込みの自社開発センサー、410万画素の「LBCAST」を搭載したフラッグシップモデル「Nikon D2H」を投入します。
この時ニコンは、「LBCAST」というセンサーに自社の開発をかけているように見えました。「Nikon D2H」はその最初の機種として(結果としては唯一の機種となりました・・・)華々しくデビューしたのです。
「Nikon D2H」自体は2003年の段階でそれほど悪いカメラではありません。
しかし、先代の「Nikon D1X」が510万画素あったのに対して、後継機種の「Nikon D2H」は410万画素となってしまい、見かけ上はスペックダウンしてしまいます。
当時も「Nikon D2H」が「Nikon D1X」に対してどういう位置づけのモデルなのか物議を醸しています。
どちらのしろ、ライバルのキヤノンは「EOS 1Ds」で1110万画素を実現していますから「Nikon D2H」はフラッグシップとしては物足りなさを感じてしまいます。
以前、お話した「単純な高画素化」はコンシューマーモデルであれば不要です。
しかし、商業印刷では、ポスターなど大判の写真も求められるため、カメラのモデルによっては「高画素化」は絶対に必要です。
つまり、高画素は商業写真用にこそ求められていたのです。
このため、全てではないにしろ、ニコンユースのフォトグラファーは「Nikon D2H」の発売当と同時にセンサーサイズが1000万画素を超える「Nikon D2H」の後継機種を待ち望むようになります。
しかしその後、2004年にミドルクラスの「Nikon D70」が610万画素の他社製CCDを搭載して発売されるほか、ニコンからはギガピクセルのフラッグシップモデルは現れません。
その間、キヤノンは2004年末に1670万画素の「EOS-1DsマークII」を投入します。
これによってニコンは画素数で4倍の差を付けられてしまいます。
いくら画素数がカメラの性能の全てでは無いにしろ、「EOS-1DsマークII」の登場はプロのフォトグラファーたちに「ニコンの敗北」という印象を与える出来事でした。
ニコンユーザーは悔しい思いを募らせる事となるのです。
ニコンユーザーの待ち望む、1000万画素超えのカメラがニコンから発売されるのは2005年になります。
それが、1240万画素のフラッグシップ機「Nikon D2X」です。
これにより、ニコンユーザーは溜飲を下げましたが、しかし、よく見ると、その心臓部のセンサーはニコンの「LBCAST」ではなく、ソニーと共同開発(?)のAPS-CサイズのCMOSセンサー「DXフォーマット」でした。
この後もニコンのモデルに「LBCAST」は搭載されることはなく、ニコン独自のセンサーは2007年の「FXフォーマット」を搭載した1200万画素のモデル「Nikon D3」を待つことになります。

ニコンは別に「LBCAST」センサーが失敗だったとも言っていません。
しかし、鳴り物入りで登場した「LBCAST」はそのあとが続かす、次第に話題にすら上らなくなりました。
やっと登場した「FXフォーマット」がニコンのセンサー開発の正統だっとしても、ライバルのキヤノンと比べ、2003年から2007年は、ニコンのセンサー開発史の「空白の4年間」となります。
この当時、フォトグラファー達の間で「ニコンの技術は5年遅れている」とまことしやかに囁かれたのは、このセンサー開発が原因だった思います。
この間の歴史を眺めると、色々な製品をつくる総合企業「キヤノン」と違い、純然たるカメラメーカーとして「情熱」と「矜恃」を持ち、高い「カメラの技術」によって支えられる「ニコン」は、その最も得意する「一眼レフカメラの市場」において「エレクトロニクス」の差によってライバルキヤノンの後塵を拝してしまったのです。
つづく
次の記事
取材の仕事で、福岡への日帰り出張から帰ってたばかりで、へろへろです。
さぁ、皆さんお待ちかね「デジカメの歴史」の6回目です(笑)
前回は「CMOS」という独自のセンサーによって時代を築いたキヤノンのお話でした。
今回はその同じ時にも一つのカメラ業界の雄「ニコン」が、どういった事をしていたのかというお話です。
前回のサブタイトルが「帝国の逆襲」だったので、今回は「ニコンの帰還」にしたいのですが・・・・・・・。
前回の記事
2016/08/22
2016/08/29
2016/09/05
2016/09/12
2016/09/20
第7話 レジェンド・オブ・デジカメ ⑥ ~ニコンの戦い~
キヤノンが独自開発の「CMOSセンサー」によってプロのフォトグラファーたちから圧倒的な支持を得ていたとき、ライバルの「ニコン」はどうしていたのでしょうか?
ニコンはまず、フラッグシップモデルの「Nikon D1」を進化させます。2001年にはセンサーサイズが倍の530万画素になる「Nikon D1X」を投入。
また、その数ヶ月後には連写性能を引き上げた改良モデル「D1H」を投入します。さらに、ミドルレンジモデルとして「Nikon D100」を投入し、キヤノンの「EOS D60」に対抗していきます。
おそらくこの間、ニコンは次期センサーの開発を行っていたはずで、その成果 が2003年に現れます。
ニコンは2003年11月。開発に10年かけたというふれ込みの自社開発センサー、410万画素の「LBCAST」を搭載したフラッグシップモデル「Nikon D2H」を投入します。
この時ニコンは、「LBCAST」というセンサーに自社の開発をかけているように見えました。「Nikon D2H」はその最初の機種として(結果としては唯一の機種となりました・・・)華々しくデビューしたのです。
「Nikon D2H」自体は2003年の段階でそれほど悪いカメラではありません。
しかし、先代の「Nikon D1X」が510万画素あったのに対して、後継機種の「Nikon D2H」は410万画素となってしまい、見かけ上はスペックダウンしてしまいます。
当時も「Nikon D2H」が「Nikon D1X」に対してどういう位置づけのモデルなのか物議を醸しています。
どちらのしろ、ライバルのキヤノンは「EOS 1Ds」で1110万画素を実現していますから「Nikon D2H」はフラッグシップとしては物足りなさを感じてしまいます。
以前、お話した「単純な高画素化」はコンシューマーモデルであれば不要です。
しかし、商業印刷では、ポスターなど大判の写真も求められるため、カメラのモデルによっては「高画素化」は絶対に必要です。
つまり、高画素は商業写真用にこそ求められていたのです。
このため、全てではないにしろ、ニコンユースのフォトグラファーは「Nikon D2H」の発売当と同時にセンサーサイズが1000万画素を超える「Nikon D2H」の後継機種を待ち望むようになります。
しかしその後、2004年にミドルクラスの「Nikon D70」が610万画素の他社製CCDを搭載して発売されるほか、ニコンからはギガピクセルのフラッグシップモデルは現れません。
その間、キヤノンは2004年末に1670万画素の「EOS-1DsマークII」を投入します。
これによってニコンは画素数で4倍の差を付けられてしまいます。
いくら画素数がカメラの性能の全てでは無いにしろ、「EOS-1DsマークII」の登場はプロのフォトグラファーたちに「ニコンの敗北」という印象を与える出来事でした。
ニコンユーザーは悔しい思いを募らせる事となるのです。
ニコンユーザーの待ち望む、1000万画素超えのカメラがニコンから発売されるのは2005年になります。
それが、1240万画素のフラッグシップ機「Nikon D2X」です。
これにより、ニコンユーザーは溜飲を下げましたが、しかし、よく見ると、その心臓部のセンサーはニコンの「LBCAST」ではなく、ソニーと共同開発(?)のAPS-CサイズのCMOSセンサー「DXフォーマット」でした。
この後もニコンのモデルに「LBCAST」は搭載されることはなく、ニコン独自のセンサーは2007年の「FXフォーマット」を搭載した1200万画素のモデル「Nikon D3」を待つことになります。

ニコンは別に「LBCAST」センサーが失敗だったとも言っていません。
しかし、鳴り物入りで登場した「LBCAST」はそのあとが続かす、次第に話題にすら上らなくなりました。
やっと登場した「FXフォーマット」がニコンのセンサー開発の正統だっとしても、ライバルのキヤノンと比べ、2003年から2007年は、ニコンのセンサー開発史の「空白の4年間」となります。
この当時、フォトグラファー達の間で「ニコンの技術は5年遅れている」とまことしやかに囁かれたのは、このセンサー開発が原因だった思います。
この間の歴史を眺めると、色々な製品をつくる総合企業「キヤノン」と違い、純然たるカメラメーカーとして「情熱」と「矜恃」を持ち、高い「カメラの技術」によって支えられる「ニコン」は、その最も得意する「一眼レフカメラの市場」において「エレクトロニクス」の差によってライバルキヤノンの後塵を拝してしまったのです。
つづく
次の記事
2016/10/03
コメント
こんばんわ〜^^
楽しみにしてました!
kさんの記事で、DXとFXの違いが垣間見れてとても興味深いです。
カメラを初めて、一通りwikiでも調べたんですが、ここまで載ってないしkさん目線なのが実に面白いです。
カメラバカの友人と話しても、ここまでは出てきませんし(友人曰く、ニコンの今のセンサーは〇〇とか、、でも実は。。)
やっぱりデジタル化の時のキーワードはセンサーだったんですよね。ニコンが半導体に弱かったのは、分かる気がしますが、ここからFXフォーマットでニコンの帰還が始まるんですかね。次回ワクワクしてます!!
シリーズの続きも早く読みたいですが、時代に左右されにくい?レンズのシリーズも是非に!
kさんはそんな時代の過渡期に居たんですね。
(当時全く写真に興味なく、勝手に同世代かと思ってますが、、)
楽しみにしてました!
kさんの記事で、DXとFXの違いが垣間見れてとても興味深いです。
カメラを初めて、一通りwikiでも調べたんですが、ここまで載ってないしkさん目線なのが実に面白いです。
カメラバカの友人と話しても、ここまでは出てきませんし(友人曰く、ニコンの今のセンサーは〇〇とか、、でも実は。。)
やっぱりデジタル化の時のキーワードはセンサーだったんですよね。ニコンが半導体に弱かったのは、分かる気がしますが、ここからFXフォーマットでニコンの帰還が始まるんですかね。次回ワクワクしてます!!
シリーズの続きも早く読みたいですが、時代に左右されにくい?レンズのシリーズも是非に!
kさんはそんな時代の過渡期に居たんですね。
(当時全く写真に興味なく、勝手に同世代かと思ってますが、、)
あと3話ぐらい書けそうな感じですが、次回が最終回ですか。。。この記事のファンとしては残念ですw 次はNikonとSony CMOSの復活劇でしょうか。。。
丁度10年前くらいの出来事ですね。この頃はペンタックスがHOYAにTOB仕掛けられて、バラバラに解体されてリコーに売られて、カメラ業界すげーなとか思ってたのですが、ニコンにもこんな寒い時代があったのですね。今からは全然想像できませんね。
丁度10年前くらいの出来事ですね。この頃はペンタックスがHOYAにTOB仕掛けられて、バラバラに解体されてリコーに売られて、カメラ業界すげーなとか思ってたのですが、ニコンにもこんな寒い時代があったのですね。今からは全然想像できませんね。
>naopion夫さん
過渡期を過ごしたアラフォーです(笑)
ニコンの劣勢というのもほんの数年の事でした。今となってはキヤノンとニコンはここで言うよな大きな差はないです。まさにニコンはFXフォーマットで帰還したのだと思います。
全7回の6回目ですので次が最終回です。
ただ、カメラシリーズもなにか続けていこうと思ってます。
過渡期を過ごしたアラフォーです(笑)
ニコンの劣勢というのもほんの数年の事でした。今となってはキヤノンとニコンはここで言うよな大きな差はないです。まさにニコンはFXフォーマットで帰還したのだと思います。
全7回の6回目ですので次が最終回です。
ただ、カメラシリーズもなにか続けていこうと思ってます。
へりさん。
私は一眼レフはキヤノンユーザーで、ニコンのことは解る範囲で記事にしました。
その他のこととなると、調べれば書けるかもしれませんが、一人のフォトグラファーの視点からは離れてしまいそうです。
たった10年前の出来事です。20年までさかのぼると「デジカメ」自体が存在しないんです。
イノベーションといのは変わってしまうとその前のことが解らなくなるんですね。
そう言ったことを記事にしたのがこのシリーズのテーマなので、やはり7回というのはちょうど良い尺なのだと思います。
私は一眼レフはキヤノンユーザーで、ニコンのことは解る範囲で記事にしました。
その他のこととなると、調べれば書けるかもしれませんが、一人のフォトグラファーの視点からは離れてしまいそうです。
たった10年前の出来事です。20年までさかのぼると「デジカメ」自体が存在しないんです。
イノベーションといのは変わってしまうとその前のことが解らなくなるんですね。
そう言ったことを記事にしたのがこのシリーズのテーマなので、やはり7回というのはちょうど良い尺なのだと思います。